Requiem for the Media
Jean Baudrillard, Requiem for the Media, The New Media Reader, The MIT Press, 2003, pp.277-288. 初出
Jean Baudrillard, Pour une critique de l’economie politique du signe, Gallimard, 1972. 本文
0.Introduction
この章は前章の「メディア理論の構成要素」へのボードリヤールの応答である。ボードリヤールは、エンツェンスベルガーやマーシャル・マクルーハンの「メディアには技術的に固有の構造がある」という立場に強く反対している。ボードリヤールにとっての問題はコミュニケーションの基本モデルである「送信者-メッセージ-受信者」と説明される構造で、真の交換の曖昧さの余地がないとボードリヤールは指摘している。 1.Introit
メディアには理論が存在しない。「メディア革命」は経験的で神秘的なままにとどまっている。「蒸気時代の人であったマルクスは電信の登場によって時代遅れになった」とマクルーハンは述べた。マルクスが技術的進化の一般理論も確立しておらず、物質的かつインフラ的な生産が社会関係をほぼ決定するとする見方に専念していた結果、「コミュニケーションの様式」は革命を起こす時間があったにもかかわらず、生産様式の理論を全く変えずに一世紀を過ごした。マルクス主義の生産理論は本質的に偏っており、普遍化することは不可能かもしれない。
2.Enzensberger: A “Socialist” Strategy
エンツェンスベルガーによれば、左派はメディアを操作だとして批判するだけで、理論的・戦略的枠組みを欠いているため無防備である。メディアは支配階級によって独占され利用されているが、メディアの構造は「本質的に平等主義的」であり、この資本主義体制によって歪められたメディアに内在する可能性を解放することが革命的実践に委ねられている。メディアは内容の運搬手段ではなく、その形式と運用そのものによって社会的関係を誘発する。メディアはイデオロギーの作用因子である。また、イデオロギー交換価値の運用そのものである。
3.Speech Without Response
コミュニケーションを単なるメッセージの送信と受信とは別のものとして認識しなければならない。現在、私たちは「応答の欠如」の時代に生きている。今日では、消費者はただ受け取ることと利用することしか許されていない。エンツェンスベルガーが主張するような「メディアが生産的な社会プロセスへの大衆の参加を可能にした」というのは事実から程遠い。機能的なオブジェクトには応答が存在せず、メディアによってメッセージをコントロールしている。テレビは、その単なる存在によって、すでに社会的支配そのものである。